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軍師官兵衛悲劇のキリシタン大名高山右近その後 [社会]

軍師官兵衛も後半戦へと突入しましたね。

荒木村重こと「道糞」も登場しました。

自分のために犠牲となった妻や家臣たちの

ことを思うと、

「オレなどは道端のクソみたいなものだ...」

とでも考えたのでしょうか。


信長の死を知った村重は慟哭したといわれています。



有岡城を脱出したのち、茶人として生きて

官兵衛と対面しました。官兵衛、道糞各々の胸中は

いったいどのようなものだったのでしょう...


荒木村重は茶人「道糞」として生きていましたが、

かつて彼に従っていた高山右近はその後、いったい

どのような人生を送ったのでしょうか?



荒木村重に従っていた、生田斗真さん演じる

『高山右近』は、悲劇のキリシタン大名として

有名です。父のダリヨ飛騨守が熱心なキリシタン

だったことから、12歳で洗礼を受けます。



高山右近は、荒木村重に臣従し、高槻城を守って

いましたが、織田信長に包囲されたとき、師の

オルガンチノが信長から、「寝返らなければ、

宣教師を滅してキリスト教を禁じる」と脅される。


村重に人質として差し出していた子どもの命と

キリスト教の両方を守るため世捨て人になろうと

するが、その潔さに心を動かされた村重は

子どもの命を助けます。


信長も彼に旧領の倍の四万石を与えます。


その後は、キリシタン大名として慈悲深い

政治をおこないますが、秀吉のキリスト教禁止に

逆らい領地没収と追放という目に遭います。



家康が全面的なキリスト禁制令(1613年)を発すると、

ついに日本で初めて国外追放されてしまいます。



追放されて着いた先はルソン(フィリピン)。

しかし、ルソン総督ファン・デシルバをはじめ、

現地の人々が、礼砲まで放ちキリスト教の勇士

として高山右近を大歓迎してくれました。



マニラで厚遇され、心安らかな生活を送れると

思っていた40日後、老齢と心身の疲労のため、

病床に臥し、1614年(15年?)この世を去りました。


信長・秀吉・家康の時代を、波乱な人生を送った

ひとりといえますね。







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