SSブログ

8月14日は「専売特許の日」 [社会]

日本の特許第一号は錆止め塗料!

1885(明治18)年8月14日に、日本で最初に

専売特許が付与されたことに因んでいます。


記念すべき特許第一号者は、刀の鞘の塗り師

であった堀田瑞松(ずいしょう)という人で、

『堀田錆止め塗料およびその塗法』の発明に

与えられました。


発明会館.JPG
広島市南区の発明会館



※発明の日は別にあり4月18日


特許庁などは特許、意匠、商標などの産業財産権制度の

普及と啓発を目的とした記念行事を発明の日に大々的に

おこなっているため、「専売特許の日」は影が薄くなって

しまっています...



特許制度の制定に貢献した先人といえば、福沢諭吉が

挙げられます。福沢先生は明治維新前の1862年、

遣欧使節に翻訳方として加わった際、西欧の最新技術に

驚くとともに特許制度の存在を知ります。

帰国後に著わした「西洋事情」では専売特許の必要を

説いています。その後、専売特許制度を確立したのが、

後に蔵相、首相を務めた高橋是清でした。



彼は官吏の道に入ってすぐに特許について興味をもち、

特許制度の制定に尽くす。1884年に商標登録所、

85年に専売特許所、86年に専売特許局を設置。

自ら初代の所長、局長に就任し、特許行政を取仕切る。



新製品の開発を禁じていた江戸時代

特許制度の始まりは西欧ですが、まだ中世の社会では、

国王が時々に有用な発明をした者に恩恵や報償を施す

手段として特権を付与していた程度で、制度化は

されていませんでした。しかし、1443年、ベニス共和国で

世界最古の成文法である「発明者条例」が公布される。


1624年にはイギリスで「専売条例」が制定され、今日の

特許制度の基本的な考え方になっています。



一方、江戸時代は時代に逆行したままで、1721(享保6)年の

「新規法度」では「新製品を作ることは一切まかりならぬ」

としていました。鎖国するだけでなく、国内においても

時代の変革を幕府は恐れていたのかもしれないですね[がく~(落胆した顔)]


月報発明.JPG
「月報はつめい」は発明会館で入手



日本の10大発明家とは?

30年前の特許庁が選出した日本の10大発明家は...

・豊田佐吉(木製人力織機)

・御木本幸吉(養殖真珠)

・高峰譲吉(アドレナリン)

・池田菊苗(グルタミン酸ソーダ)

・鈴木梅太郎(ビタミンB1)

・杉本京太(邦文タイプライター)

・本多光太郎(KS鋼)

・八木秀次(八木アンテナ)

・丹羽保次郎(写真電送装置)

・三島徳七(MK磁石鋼)



特許を取らなかったレントゲン

特許権は莫大な利益をもたらすが、豊田佐吉の場合、

最初に発明した豊田式織機だけでは満足できず、

改良を試み、その開発資金のため、特許権を売ります。

その後、息子の喜一郎と共に紡織の大量生産を可能にした

自動織機を発明していく。世界中へ独占販売し、

その莫大な稼ぎが自動車製造の資金となりました。



一方、放射線を発明したレントゲンは特許を取らなかった。

巨額の特許料がもらえたはずなのに、そうしなかったのは

科学と技術の違いがあるといわれます。科学研究では

すべてを論文にして公開することが求められる。

公開されなければそもそも研究自体が存在しなかった

ことになります。科学者レントゲンはその発見だけで

満足したのかもしれないですね。放射線を透視する

技術と一体になっての発見だったのに...


技術の場合は公開するのは稀なため、それでは世の中の

ためにならないから特許を付与して一定期間だけ発明者を

保護し、その後誰もがその技術を利用できるように

するという制度が特許制度ということになります。


発明でひと山当てたいですね!![ふくろ]





スポンサードリンク



nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。