広島県三次市の「もののけ物語」 [広島情報]
広島県三次市にも、もののけがいた!!
''宮崎駿人気健在!『もののけ姫』平均視聴率21.9%
最高は25.6%
スタジオジブリ最新作『思い出のマーニー』が19日に
公開されるのにあわせて、日本テレビ系
「金曜ロードSHOW!」枠で「夏はジブリ!」と題し、
3週連続でジブリ作品を放送。
その第1弾として4日、宮崎駿監督作品『もののけ姫』
(1997年)が放送され、番組平均視聴率21.9%を
記録したことがわかった。,,
引用元 オリコン7月7日(月)配信記事
出典 http://www.amazon.co.jp
テレビ放送は今回が8回目というのに、
ジブリ作品の人気ぶりはすごいですね。
さて、広島県三次市に伝わる
「もののけ」とは?
≪稲生物怪録(いのうもののけろく)≫
江戸時代中期の寛延2年(西暦1749年)、
当時16歳であった実在の三次藩士、
稲生平太郎が30日間にわたり体験した、
妖怪にまつわる怪異をとりまとめた物語です。
あらすじは...
1.
妖怪伝説(南区七大伝説)
~三次と南区を結ぶ物語~
時は寛延二年江戸時代中期、
三次に住む稲生平太郎と相撲取りの
権八は互いの勇気を試すため比熊山で
百物語に挑んだ。
百話の怪談話を語り終えたとき、
怪異が現れるといわれるが...
2.
平太郎
「なんじゃい、結局なにもでんかったのう」
権八
「妖怪もワシらの強さにおそれをなしたんじゃ」
それから二か月は何事もなく静かに時は過ぎた。
ある夜、火がついたように障子が明るくなった。
平太郎
「なんじゃ、この光は。誰かおるんか?」
3.
平太郎
「はなせこのヤロウ!」
「おのれ!妖怪!」
「な、なんじゃったんじゃ」
4.
平太郎
「権八のところにも現れたのか?
妖怪も本気じゃのう」
権八
「この先どうなるんじゃ」
権八の不安は的中。
その日を境に奇妙きてれつなことが
平太郎たちを襲った。
二日目の夜、行灯の火が天井まで燃え上がった。
三日目の夜、居間に女の生首が逆さま
になって現れた。
四日目の夜、カメの水が凍り、置いてあった
紙が一枚いちまい舞い上がった。
5.
妖怪たちは30日間におよび稲生平太郎を
おどし続けたが、平太郎は屈することなく
耐え抜いたのである。
6.
平太郎
「さてさて、次なる妖怪はなんじゃ?」
「これは客人でござったか、失礼もうした」
魔物
「私は山本五郎左衛門という魔物である」
「あんたの勇気には恐れ入った」
平太郎
「やっぱ妖怪か...」
魔物
百人の人間をたぶらかすと魔国の頭となれる
おまえで86人目じゃった。
しかし、おまえでワシの想いはやぶれた。
「安心せい、もうこれ以上おまえの
前にワシが現れることはない」
しかし、別の魔物がくる場合がある。
そのときは北の柱をこの木槌でたたき、
ワシを呼ぶがよい。
「たっしゃでのう」
7.
五郎左衛門は多くの妖怪たちに
かごで送られていった。
そして、30日間におよんだ様々な妖怪の
出現はその日を境になくなった。
平太郎は後に広島に移り住み、
広島藩に仕えた。
山本五郎左衛門からもらったとされる
木槌は東区の國前寺に伝えられている。
また稲生平太郎こと稲生武太夫自身は、
南区の稲生神社に祭られている。
江戸時代の実在人物が祭神としてあるのも
珍しく、武太夫にあやかって魔よけ厄よけを
願って多くの人がお参りする。
平太郎の子孫は現在も広島市に在住ししている。
稲生武太夫の墓所は広島市中区の
本照寺にあります。
あの妖怪マンガの大御所、
水木しげる先生もここを訪れたといいます。
稲生物怪録は本当にあったお話しかも...?
~稲生神社~
広島市南区稲荷町の稲生神社は、
豊受大神や大國主命と併せて
稲生武太夫を御祭神として祭っている。
取材時はあいにくの雨で...
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''宮崎駿人気健在!『もののけ姫』平均視聴率21.9%
最高は25.6%
スタジオジブリ最新作『思い出のマーニー』が19日に
公開されるのにあわせて、日本テレビ系
「金曜ロードSHOW!」枠で「夏はジブリ!」と題し、
3週連続でジブリ作品を放送。
その第1弾として4日、宮崎駿監督作品『もののけ姫』
(1997年)が放送され、番組平均視聴率21.9%を
記録したことがわかった。,,
引用元 オリコン7月7日(月)配信記事
出典 http://www.amazon.co.jp
テレビ放送は今回が8回目というのに、
ジブリ作品の人気ぶりはすごいですね。
さて、広島県三次市に伝わる
「もののけ」とは?
≪稲生物怪録(いのうもののけろく)≫
江戸時代中期の寛延2年(西暦1749年)、
当時16歳であった実在の三次藩士、
稲生平太郎が30日間にわたり体験した、
妖怪にまつわる怪異をとりまとめた物語です。
あらすじは...
1.
妖怪伝説(南区七大伝説)
~三次と南区を結ぶ物語~
時は寛延二年江戸時代中期、
三次に住む稲生平太郎と相撲取りの
権八は互いの勇気を試すため比熊山で
百物語に挑んだ。
百話の怪談話を語り終えたとき、
怪異が現れるといわれるが...
2.
平太郎
「なんじゃい、結局なにもでんかったのう」
権八
「妖怪もワシらの強さにおそれをなしたんじゃ」
それから二か月は何事もなく静かに時は過ぎた。
ある夜、火がついたように障子が明るくなった。
平太郎
「なんじゃ、この光は。誰かおるんか?」
3.
平太郎
「はなせこのヤロウ!」
「おのれ!妖怪!」
「な、なんじゃったんじゃ」
4.
平太郎
「権八のところにも現れたのか?
妖怪も本気じゃのう」
権八
「この先どうなるんじゃ」
権八の不安は的中。
その日を境に奇妙きてれつなことが
平太郎たちを襲った。
二日目の夜、行灯の火が天井まで燃え上がった。
三日目の夜、居間に女の生首が逆さま
になって現れた。
四日目の夜、カメの水が凍り、置いてあった
紙が一枚いちまい舞い上がった。
5.
妖怪たちは30日間におよび稲生平太郎を
おどし続けたが、平太郎は屈することなく
耐え抜いたのである。
6.
平太郎
「さてさて、次なる妖怪はなんじゃ?」
「これは客人でござったか、失礼もうした」
魔物
「私は山本五郎左衛門という魔物である」
「あんたの勇気には恐れ入った」
平太郎
「やっぱ妖怪か...」
魔物
百人の人間をたぶらかすと魔国の頭となれる
おまえで86人目じゃった。
しかし、おまえでワシの想いはやぶれた。
「安心せい、もうこれ以上おまえの
前にワシが現れることはない」
しかし、別の魔物がくる場合がある。
そのときは北の柱をこの木槌でたたき、
ワシを呼ぶがよい。
「たっしゃでのう」
7.
五郎左衛門は多くの妖怪たちに
かごで送られていった。
そして、30日間におよんだ様々な妖怪の
出現はその日を境になくなった。
平太郎は後に広島に移り住み、
広島藩に仕えた。
山本五郎左衛門からもらったとされる
木槌は東区の國前寺に伝えられている。
また稲生平太郎こと稲生武太夫自身は、
南区の稲生神社に祭られている。
江戸時代の実在人物が祭神としてあるのも
珍しく、武太夫にあやかって魔よけ厄よけを
願って多くの人がお参りする。
平太郎の子孫は現在も広島市に在住ししている。
稲生武太夫の墓所は広島市中区の
本照寺にあります。
あの妖怪マンガの大御所、
水木しげる先生もここを訪れたといいます。
稲生物怪録は本当にあったお話しかも...?
~稲生神社~
広島市南区稲荷町の稲生神社は、
豊受大神や大國主命と併せて
稲生武太夫を御祭神として祭っている。
取材時はあいにくの雨で...
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