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富岡製糸場はブラック企業だった? [社会]

製糸場の劣悪な労働環境を告発した「女工哀史」、

文学では「あゝ野麦峠」などをみると、

工女さんたちの労働環境は劣悪であり、

現在でいうところのブラック企業だった

のではないのかという疑問を抱きます。


世界一の規模だった富岡製糸場

元々、養蚕業の盛んだった群馬県富岡市。

明治政府はここに最新式の工場を建設。

繭から糸を取り出す「操糸場」は長さ140㍍、

幅12㍍、高さ12㍍で、当時としては世界一の

規模だったといいます。


さらに、フランス製の操糸器が300台も

並んでいました。


富岡製糸場は生糸を生産する工場で、

明治時代初めの1872年に操業を開始。


当時、生糸を織った絹はヨーロッパやアメリカで

大人気で、日本は生糸を輸出していました。

しかし、手作業で生糸を作っていたため、

生産性が悪く、品質のバラツキも問題でした。


そこで、明治政府は西洋の最新技術を取入れるべく、

「お手本」となる工場の建設に着手します。


それが「富岡製糸場」なのです。


実は良家の娘が多かった工女さんたち

富岡製糸場で働いていたのは全国から集まった

何百人もの若い女性たち。

工女さんたちの指導はフランス人の女性教師が

おこないました。技術が向上すれば給料が上がり、

一日の労働時間は8時間未満と決められていました。


当時の人は西洋人に慣れていなかったので、

「血を取られるらしい...」などと怖がり

働き手が集まらなかったために、教養のあった

江戸時代に武士だった士族の娘たちが率先して

働くことになりました。



技術を身に付けた女性たちは故郷へ帰り、

全国にできた民営工場の指導者になります。

おかげで日本は1900年ころには世界一の

生糸輸出国になりました。


富岡製糸場では労働条件、待遇も良かったの

ですが、民営の工場では貧しい少女たちが

過酷な労働を強いられ、病気で命を落とす

こともあったといわれています.....



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